業が深けりゃ最悪死ぬ。

この業界、不思議な事に「視える」人は少なくないんです。

突然何事かと思いましたでしょう?今日は少しばかり不思議なお話を致します。


そこそこ業界歴も長くなって来ましたが、わたくしは視えない人間です。ただ、感じる事ができます。とはいえ、それはとてもとても微々たるもの。そうね...普通の方よりも少しだけ、勘がいい程度と把握して下されば宜しいかと。

「感じる」と言ってもどの程度かと聞かれますと、自分が招かれているのか、それとも招かれていない場所なのかがわかる...そんな程度ですのであまり役には立ちません。ただ、招かれていない場所に変に立ち入りますととんでもない事になりかねませんので、自衛になると言えばなりますね。

そしてわたくし、「憑かれやすい」人間でございまして...これを知ったのはお恥ずかしながら最近のことなのですけれども、それに気付く事になった原因のお話をしていきましょう。


1月になり、初詣を兼ねて京都に参りました。わたくしは伏見稲荷大社とご縁が御座いますようで、年に一度は必ずお詣りしております。

かなり有名な神社ですのでご存知の方も多いとは思いますが、名前を知らずともずらりと並ぶ千本鳥居を一度は見た事があるでしょう?あそこが伏見稲荷大社です。

今回京都に参りましたのは、先に申しました通り初詣という目的もあったのですが、京都国立博物館にて行われている日本刀の展示ももう1つの目的で御座いました。

今回展示されているのはかの有名な織田信長公が刀、「宗三左文字」に「骨喰藤四郎」、「秋田藤四郎」と坂本龍馬の最期の佩刀「陸奥守吉行」。そして、源氏の宝重と名高い「膝丸」「髭切」。


まあもうここでピンとくる方はお仲間で御座いますね。そういうことです。


すっかり日本刀に魅了され、昨年の春辺りから色んな刀剣を観に行くようになりまして、2016年になって初の刀剣が上記のものたちでした。


さて、京都に着いて直ぐに京都国立博物館へ。

かの有名な菊御作も展示されており内心ほくほくしておりましたが、何故か宗三左文字を見た後からだんだんと調子がおかしくなって参りました。なんと言うか、身体全体がずっしりと重いのです。何かが纏わり付いているような感じと言えば良いでしょうか...。不思議に思いつつも、友人に頼まれた御朱印集めに向かいます。


豊国神社を回って粟田神社に行ったこの時点で本当に身体が重くて重くてしんどくなりました。朝ご飯を食べておりませんでしたし、そのせいかなーと思ったのですけれども、どうにもおかしいんですね。

風邪のような気怠さと関節の痛み...これだけならば風邪を引いたのだと思えましたけれども、左半身の関節だけ痛いのです。

「何かくっつけた...?」とこの時思いました。正直もう色々すっ飛ばして帰りたくなりましたけれども、友人の頼みを放り出して帰る訳にも参りません。痛みを無視して合槌稲荷、藤森神社を回って伏見稲荷大社へ。

ご縁のある伏見稲荷大社ですので、境内に入ると大分身体も楽になりました。ゆっくりお詣りしたかったのですが、他の神社の社務所の時間もありますし、夜の伏見稲荷大社に詣る予定でしたので、自分用の御朱印をいただいて建勲神社へ。

此方は信長公を祀る神社なのですが、此方でまた具合が悪くなります。


伏見稲荷大社を出た途端に身体は重かったのですが、建勲神社の境内に入るとその重さは倍増。この日はそこそこ冷えており寒さはありましたが、尋常じゃないくらいに寒くて仕方ないのに左半身だけが熱くて堪らないのです。関節の痛みも酷くなり、まるで締め上げられているよう...

泣きそうになりながら御朱印を頂き晴明神社へ。

晴明神社に到着すれば少し痛みも怠さも和らいだけれど、それでもやはり午前に比べて体調はすこぶる悪くなっておりました。


ここで帰ることも考えました。こんな体調で伏見稲荷大社に行ける訳もない、と。けれど「行かなくてはいけない」と漠然とそう考え、再び伏見稲荷大社へと参りました。敷地内に入れば寒気も飛び、痛みはあれど身体もふっと軽くなりました。

千本鳥居を潜る頃には何もなかったかのように痛みも消えていました。流石です、伏見稲荷大社


お詣りして感謝の言葉を告げて、伏見稲荷大社を後にした途端、再び襲う寒気、痛み、左半身の熱。そして、発熱。

後はもう朦朧とする意識の中、なんとか自宅まで帰り着きました...。


さて、ここまでが前置きです。


家に帰って所謂「視える人」(ここではお姉様とお呼びします)に相談しました。とは言っても「刀を見に京都に行って帰って来たら途端に調子悪くなったから拾ったかも〜」といった風にとても簡単にざっくりと。

そうしたら「枕元に日本酒置いて寝なさい。ちょっとセンサーが反応してる」とのお返事が。


ええ、どうやら完全に拾ってしまったようです。


しかもこのやりとりをしている間、枕元に平積みしてあった漫画の1番上にあった1冊がぽーん、とわたくしの膝の上に飛んで参りまして...この漫画、京都を舞台にした漫画なのですけれども関係ないと思いたい...。


色々やりとりしつつ、その日は枕元に清酒を置いて眠りました。すると翌日、びっくりするくらいスッキリ。熱も痛みも消えておりました...左肩だけ筋肉痛のような痛みが少し残っておりましたが。


お姉様によると宗三左文字に見惚れてしまい、その後に建勲神社に行ったのが問題だったようです。

普段建勲神社にある宗三左文字は京都国立博物館に展示されている間、元の持ち主である今川義元公の手に戻っている状態になるわけで、元々宗三左文字は義元公が討たれた時に信長公に奪われた刀。それを見て見惚れる女が1人。おまけにこの女は何振りも刀を見て来ており、今回も宗三左文字の為に態々京まで上るような女です。義元公は焦ります。「また、奪われる」と。

それでこの女が妙な真似をしないように監視することにしました。

そうしたらなんてことでしょう、この女。憎き仇である信長公の祀られる建勲神社へと入って行くではありませんか。

びっくりしたのは信長公。刀ブームで色んな人間が遊びに来るのをのほほんとのんびり眺めて居たら、女が過去に討ち取った義元公を連れて来るではありませんか。

普段手元にある刀がなく、武器がない信長公は焦ります。

結果、女には今川義元公と織田信長公の2人の監視が付くことになりました。


...ええ、完全にわたくしが悪いのです。憑かれやすいことも、視えないだけで霊感がゼロではないことも知らずに、刀に心を奪われたわたくしが100%悪いのです。

おまけにわたくし、坂本龍馬の大ファンでして、最期を共にした陸奥守吉行を見て龍馬の最期に想いを馳せ感極まって涙を流すという失態を犯したせいで、此方関連のモノも憑けたそうで...(こちらは特に害はなかったのでこちらへの言及は特にありませんでしたが)身体の中で平成の桶狭間が起きた結果の体調不良でございました。

元々わたくしに憑いている子もおりますので、その子もびっくりしたでしょうね。本当に申し訳ないお話でございます。

酷くならなかったのはこの元より憑いている子のお陰なのでしょう。

ありがたいことです。


...しかしお話はこれだけではございません。

心配したお姉様がもっと視える方に話を通してくださいました。あの平成の桶狭間の数日後、その視える方(お兄様とお呼びしましょう)がお姉様に言ったそうです。


「あの子(吉原)は大丈夫?源氏の影が見えるんだけど」


はい。敏い子はお分かりですね。

わたくし、膝丸と髭切を見ております。おまけにイベント真っ最中ですので、モノホン相手に「我が本丸にお越しください」とドロップ祈願しております。

お姉様大爆笑しました。わたくしも笑いました。

モノホンを連れて来るとは何事かと。お陰でちゃんと二振り共本丸にお迎え出来ましたけれども。


とまあ、年始からフルスロットル、最初からクライマックスでぶちかました吉原でございます。

勿論、信じるか信じないかはあなた次第ですが。


ああそうそう。最後に小噺を。

藤森神社に行く途中、ちんたまパンティなるものの存在を知りまして...キャラクターである宗三さんに穿かせる妄想をしていたんですね。

その後から具合の悪さ3割増しだったわけです。

しかも京都へ向かう新幹線の中で眠っていたのですが、夢の中に彼が出て参りまして。素股してくれてたんですよね。ええ、勿論わたくしにはちゃんと生えておりました、陽物。

あまりに気持ち良いものだから「流石だぜ...」なんてだらしない顔をしていましたが、今思えばそれが良くなかったんでしょうねぇ...そんな夢を見た女が実物の宗三左文字に「綺麗...」と見惚れていたら、義元公も警戒して当然です。

おまけにちんたま妄想。警戒を強めて当然です。


...腐女子の業深さ故にこんな目に合うとは思いませんでした。

皆様、刀にあまり心奪われぬよう、お気を付け遊ばせ。

今回は笑い話で済みましたけれども...

あと、腐女子も大概にしないといけませんわね。腐女子拗らせて死んだなんて洒落になりませんもの。